阿波世界農業遺産

阿波の農業に纏わる神々と文化編-写真展2

国重要文化財・三木家住宅

国重要文化財・三木家住宅 ・旧麻植郡木屋平村(美馬市小屋平)の標高552mもの高地にある三木家住宅は、1650年頃に建てられた県内最古の民家である。三木家は、阿波忌部の直系で、古代以来、歴代の践祚大嘗祭における御衣御殿人として麁服を貢進し、朝廷と深いつながりがあった。ヤマト王権の成立に阿波忌部族が立役者に一つになった歴史を継承するためか、大嘗祭には、麁服(麻織物)が現在でも献上される。

践祚大嘗祭の斎麻畑(三木家)

践祚大嘗祭の斎麻畑(三木家) ・阿波忌部氏は、古代から天皇が即位する一世一代の儀式である践祚大嘗祭において、麻で作られた衣服である麁服(麻織物)を、代々天皇に貢進する重大な役目がありました。この写真は、美馬市小屋平(旧麻植郡木屋平)の忌部直系三木家で、平成(今上)天皇の大嘗祭の折に栽培された「斎麻畑」です。
(★写真は三木家資料)

世界に誇る継承文化 阿波忌部氏が貢進する「麁服」

世界に誇る継承文化 阿波忌部氏が貢進する「麁服」 ・阿波忌部氏は、古代から天皇が即位する一世一代の儀式である践祚大嘗祭において、麻で作られた衣服である麁服(麻織物)を、代々天皇に貢進する重大な役目がありました。その衣は、大王霊が着る神衣であり、阿波忌部が作る麁服がなければ、天皇とは認めてもらえないほど重要なものでした。この文化が現在な至るまで継承されていること自体、世界に誇るべきもので、ユネスコに指定すべき重要遺産といえるでしょう。
(★写真は三木家資料)

「麁服」の織初式(旧麻植郡山川町)

「麁服」の織初式(旧麻植郡山川町) ・阿波忌部によって作られた麁服(麻織物)は、平成2年の平成(今上)天皇の大嘗祭の時にも、古来からの慣習に則り、麻植郡木屋平村貢の三木家で栽培された麻が、山川町忌部山で麁服として織られ、天皇に献上されました。これは、地元で選抜去れた織姫(織女)の写真です。精進潔斎をしてからでなければ聖なる麻に触れることはできませんでした。
(★写真は三木家資料)

大嘗祭の斎麻畑と抜麻式(三木家)

大嘗祭の斎麻畑と抜麻式(三木家) ・阿波忌部氏は、古代から天皇が即位する一世一代の儀式である践祚大嘗祭において、麻で作られた神衣である麁服(麻織物)を、代々天皇に貢進する重大な役目がありました。この写真は、忌部直系三木家(美馬市木屋平)で、平成(今上)天皇の大嘗祭の折の「抜麻式」の様子です。
(★写真は三木家資料)

忌部神社から「麁服」が出発

忌部神社から「麁服」が出発 ・阿波忌部によって作られた麁服は、平成2年の平成天皇の大嘗祭の時にも、古来からの慣習に則り、麻植郡木屋平村貢の三木家で栽培された麻が、山川町忌部山で麁服として織られ、天皇に献上されました。
(★写真は三木家資料)

「岩戸神社」の麻笥岩と麻晒池

「岩戸神社」の麻笥岩と麻晒池-1「岩戸神社」の麻笥岩と麻晒池-2 ・吉野川市山川町の忌部山の麓、「岩戸神社」(忌部神社摂社の一つ)の境内には、麻笥岩がある。そこは、忌部の大神が天降ったとする御石で、南側は神代忌部が大御神麻を晒した聖なる場所であったと伝えられている。また、麻笥岩の穴中の延命水を飲んで土御門上皇が病を癒されたとも伝わる。麻笥岩の由来は、忌部が当地で神麻を紡いだ容器に纏わる名称であった。また、麻晒池は「神代忌部の大御神麻を晒した聖なる場所であった。」と伝えられる。麻の製造に纏わる伝承地や遺跡が残されているのは日本で阿波だけであり、麻産業の発祥地だともいえる。

阿波忌部が織った『木綿』

阿波忌部が織った『木綿』 ・阿波忌部は『日本書記』に、「粟国の忌部の遠祖天日鷲が作ける木綿を懸でて~」、「天日鷲命を作木綿者とす。」、『古語拾遺』に「天日鷲命と津咋見神とをして、榖の木を種殖ゐて、白和幣[是は木綿なり~」とあるように、榖で木綿を作るのが職務であった。『魏志倭人伝』にある倭国の男子の風習に「木緜を以て頭に招ける」の木緜とは「木綿」と考えられている。

木頭忌部が織った『太布』

木頭忌部が織った『太布』 ・旧那賀郡木頭村(那賀町)に伝わる榖・楮で織る伝統衣類に「太布」がある。木頭には木頭忌部が居り、忌部族が織った衣類の一つであった。幕末の阿波の国学者・野口年長は、『粟の落穂』で「この太布はこうぞの皮もて織れる麻布にはあらず、麻植郡の山々、また美馬郡一宇山、三好郡三名、那賀郡木頭村などより織り出し、土佐の国よりも多く織り出せり。」と語る。カジ繊維の源流は、中国南西部から東南アジアの照葉樹林文化圏にある。これら榖や楮・麻などの樹皮を材料とし、その繊維を撚った糸で作る照葉樹林文化をもつのが阿波であり、それは日本を代表する伝統的農業遺産であった。

穴吹の忌部が織る『白妙』

穴吹の忌部が織る『白妙』 ・美馬市穴吹町の忌部集落が首野である。首野は、宮内の「白人神社」を過ぎた神明山の南に連なる高地性傾斜地集落で、由来は、古代に忌部の首が住みついた場所と伝わる。神明山から首野の金比羅山に連なる山稜には、かつて「白妙の道」があった。それは、梶山の榖の繊維で作られた白妙や麻で作られた荒妙が運ばれたことから名付けられたという。阿波忌部氏は、照葉樹林文化圏の植物の繊維を巧みに使い麻織物、太布、木綿、白妙といった織物を作り、その技術はわずかながら継承されているのであり、それは日本を代表する伝統的農業遺産となっている。


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