阿波世界農業遺産

阿波の農業に纏わる神々と文化編-写真展3

製紙の始祖伝承をもつ「紙漉神社」(山神社)

製紙の始祖伝承をもつ「紙漉神社」(山神社) ・吉野川市山川町に聳える高越山の東面中腹には「皆瀬」(楮植)、「紙漉」の地名がある。『川田町史』に「皆瀬」の由来は、「津喰見命(阿波忌部)が穀を植えさせた土地」とある。『川田町史』に「紙漉」は、「阿波忌部が神代に初めて紙を漉いた場所」と伝わる。紙漉集落の最上部には、「紙漉神社」(山神社)が鎮座し、背後には巨巌、前面に社殿、その隣に積石基壇上に長さ約3m・高さ70㎝の石板を四角形に構築した石殿3基と高さ約110㎝の立石が祀られ「神々を祀り迎える祭壇」=「磐境」の斎事場が構築されている。「紙漉」は日本唯一の製紙地名であり、この川田の里は阿波忌部の祖神・天日鷲命が初めて紙を作られた和紙の里であった。その天日鷲命は、阿波の製紙の神様として、日本の製紙の祖神として、阿波忌部族の日本各地への進出とあわせ、石見・出雲・甲斐・下野・越前などの和紙の産地に祀られている。

大宮神社の「藍神様」(佐那河内村)

大宮神社の「藍神様」(佐那河内村) ・名東郡佐那河内村の下字高樋に祀られた佐那河内の総氏神となる「大宮神社」の境内脇には猿田彦大神が祀られ「藍神様」と呼ばれている。『佐那河内村誌』によると、「佐那県に山主という父母に孝行する者がいて、嵯峨山の杖立で薪を刈っていると、猿田彦大神に声をかけられた。そこで、藍染めを教えられた。山主は、教えの通り藍染めを行うと家業は日々に栄え佐那の長者となった。」という。その故事により「大宮神社」に祀られた「猿田彦大神」は、藍神様と呼ばれ、藍の栽培が盛んな名東、名西、麻植、板野等の諸郡の人々に崇敬が厚く、祭礼日以外も参詣者が多く、祭礼日には大市で富籤の行事もあったという。藍の神様を祀るのは阿波のみで、それは殖産の神様でもあり、中国南部から連なる照葉樹林文化圏の流れを組む信仰であるといえよう。

脇町の土神を祀る「波爾移麻比弥神社」

脇町の土神を祀る「波爾移麻比弥神社」 ・美馬市脇町北庄には、平安時代の『延喜式』神名帳の阿波国美馬郡条に見える「波爾移麻比弥神社」(埴山姫神社)が祀られている。『日本書紀』神代紀には、イザナミが火神カグツチを生んだ後、土神ハニヤマビメと水神ミツハノメを生み、カグツチがハニヤマヒメと結婚してワクムスヒを生み、そのワクムスヒの頭の上から蚕と桑、臍から五穀が生じたとある。神話では、農業に必須な土神(ハニヤマヒメ)から五穀が生まれたとあり、日本唯一神名で祀られる神社、及び五穀の誕生とあわせ、この信仰の発祥地であることが確認できる。

灌漑(水)の神を祀る「弥都波能売神社」

灌漑(水)の神を祀る「弥都波能売神社」 ・美馬市脇町拝原の「八大龍王神社」は、平安時代の『延喜式』神名帳の阿波国美馬郡条に見える「弥都波能売神社」の比定社である。ミツハノメとは、『古事記』『日本書紀』に云う農業に必須な灌漑用水を掌る女神となる水の神であり、日本唯一神名で祀られ、阿波国がこの信仰の発祥地であることが確認できる。このことも、徳島県が世界農業遺産をめざす条件になりえるだろう。

阿波晩茶(後発酵茶) と照葉樹林文化

阿波晩茶(後発酵茶) と照葉樹林文化 ・阿波晩茶とは、那賀川流域の相生町や上勝町で作られた後発酵茶(乳酸発酵茶)で、ヨーグルトやお茶漬けのように茶葉を発酵させるもの。葉が硬くなる7月の中頃に摘み取る(遅く摘み取る)ので晩茶と呼ぶ。摘み取った茶葉は釜ゆでした後に、舟形の手押し茶擦り器で揉捻し、樽で10日~3週間程度漬け込んで植物性乳酸菌に嫌気発酵させる。同系統の茶は高知県大豊町の碁石茶(阿波からの流れ)がある。照葉樹林文化圏を象徴する飲み物が「茶」であり、その茶樹の起源地は、中国雲南省とその周辺にある。阿波晩茶型のルーツは、タイ北部のミヤン、ミャンマーのラペ・ソー、ラオスの竹筒茶にあると報告され、筆者は雲南省西双版納の猛海県のプーラン族村を訪れ「竹筒酸茶」を確認した。このように東アジアの照葉樹林文化圏のグローカルな文化的位置付けがなされるのが阿波晩茶なのである。写真は、勝浦郡上勝町の神田茶。

上勝町旭の「茶神八幡神社」

上勝町旭の「茶神八幡神社」 ・阿波晩茶は、那賀川流域の相生町や上勝町で作られる。特に、上勝町旭の野々は、阿波晩茶発祥の一つとも見られ、神田茶が知られている。集落の中心には、お茶の神様が坐すという「茶神八幡神社」の岩窟遺跡があり、茶神を祀るのは日本で当地一社のみとなる。その岩窟は岩陰遺跡ようで、発掘すれば阿波に発酵茶をもたらした人々の遺物が見つかる可能性が高い。また、当社は地域の守護神として平家の落人、横尾権守が背負っていた八幡大菩薩を奉ったと云われ、戦いの際、湯漬けを食して出陣した武将たちの勢いずけ、腹ごしらえの茶漬けの由来か、戦いの神様が奉られ、古来より不老長寿仙人の妙薬とも云われ秘伝の製法で今に受け継がれている。

海部郡に古来から伝わる「寒茶」

海部郡に古来から伝わる「寒茶」 ・寒茶とは、徳島県南部の海部郡、旧宍喰町の山間部、野根川流域の久尾・船津集落で古くから生産され飲まれてきた特別な茶である。由来は、真冬の一番寒い時期に茶葉を摘むことに由来する。夏・秋を過ぎ、葉が栄養をたっぷりと貯め込んだ新年を迎える頃から摘み始めるのであり、日本で一番早い茶摘みの里とも呼ばれる。摘み手の女性は、真冬に傾斜面を登って茶葉を一枚ずつ手摘みし、集めた茶葉を蒸し器に移し半時ばかり蒸す。取り出した茶葉は、熱を冷ましながら粗もみしていく。2009年7月には、海陽町商工会が販売元となり商品化が実現した。ペットボトルにもなっている。阿波晩茶とともに寒茶も日本を代表する伝統的農業遺産だといえる。


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