徳島剣山世界農業遺産支援協議会通信-No.16

≪東京大学・松本教授の徳島剣山系訪問記≫ [平成27年 1月10日(土)]

・昨年の11月12日(水)~14日(金)までの3日間、徳島大学の玉真之介教授(日本農業史学会会長)の一団が、文部科学省の学術調査の一環として視察した際、同行した松本武祝(東京大学大学院農業生命科学研究所教授・農業博士)氏から訪問記をいただきましたので通信に掲載します。


阿波剣山系傾斜地畑作集落訪問記


東京大学大学院農学生命科学研究科 教授

松本 武祝


東京大学・松本の徳島剣山系訪問記1

・雲の湧き出ずるところよりもさらに高きにある集落からは、眼下にV字渓谷の谷底までもが見下ろせ、視線を転ずれば剣山の頂を仰ぎ見られる。集落の人々は、千年・百年単位で急傾斜地の畑地と樹園地を耕作し、さまざまな農作物を栽培し続けてきた。萱を活用して地力の維持を図って土壌流出を防ぎ、農具の形状を改良することで傾斜地での苦汗労働をなるだけ軽減することに務めてきた。集落の中心に聳え立つ巨木は、信仰の対象であり、森林-萱場-畑地の生態バランスの象徴であり、かつ多様な遺伝子資源の貯蔵庫でもある。鎮守の森の保存を唱えて明治政府の神社合祀政策に反対した生態学者・南方熊楠の思想と科学がまさに実践されている。
・一見すると、これらの集落は、他地域との交通が途絶し、自給自足経済を営んできたかのような印象を受ける。「干しもの」など豊かな農産物加工の文化が、その印象を強めている。しかし、実際には、古くから、瀬戸内や徳島との交易が盛んであったという。茶、シュロ(漁網原料)、楮・三椏などさまざまな移出産品が生産されてきた。また、遍路の旅人との交流も盛んであった。現在、これらの集落では高齢化が進んでおり、集落の豊かな歴史を次世代に継承することが重大な課題となっている。これまでに蓄積されてきた有形無形の知恵と経験、そして交流と交易を通じて育まれた開放的な精神を生かすことができれば、今日の困難は充分に克服可能であると信じる。

2014年11月13~14日訪問、 2014年11月25日記


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