阿波世界農業遺産

剣山系の傾斜地集落の外観

・「ソラ」とは、徳島平野に住む吉野川中下流域の人々が県西部、吉野川南岸部の旧美馬郡・三好郡方面を指す言葉として今でも使われる。「ソラ」の意味について『徳島県の歴史』(河出書房新社)は、「四国山地は近代に至るまで焼畑農耕が卓越している地で、近世・近代の平野に住む人々がソラと言ったのは、この焼畑農耕が行われている四国山地、稲作社会に視点をすえた場合の異質な現世社会としての山の上の焼畑社会を指す。」と解説する。「ソラ世界」は、地質でいえば三波川帯と御荷鉾帯に分布する。当地域は、日本最大の地すべり地帯、及び破砕帯が走るため、畑地や棚田を容易に作ることができ、涵養林さえ残せば山上付近からでも水が湧き出るため土地生産性が高かった。「ソラ世界」の人々は、自動車が普及するまでは、山上や尾根道を主要な交通・運搬道とした。現在のように谷筋沿いの一般道に家々が並び立ったのは昭和30~40年以降となる。「ソラ世界」は、山上部より谷底・川筋へと集落・耕地が拓かれた。最初に山上部に住んだ者が水利権を掌握し、そこから下方に分家する形で、一般的に形成されてきた。それ故に、「頂上部に住む人ほど高貴な人で、山の上から拓かれた。頂上部付近から谷沿いへ降りてきた。」との口伝が各集落に残されている。

・「ソラ世界」(高地性傾斜地集落)が分布する剣山系は、かつては日本を代表する焼畑地帯であった。四国では昭和25年(1950年)に、約2,000haの焼畑が分布し、その広さは全国の19%に及んでいた。『アトラス 日本列島の環境変化』西川治監修(朝倉書店)の近世末(1850年頃)の林野利用によれば、剣山系が日本最大の焼畑地域であったことが分かる。
[作成] 林 博章

剣山系の傾斜地集落の外観1
※美馬郡つるぎ町貞光の家賀集落-周囲を森林に囲まれ、要所に社叢林が配置される。

剣山系の傾斜地集落の外観2
※美馬郡つるぎ町一宇の赤松集落-日本最大の標高差をもつ傾斜地集落。干し柿の産地。

剣山系の傾斜地集落の外観3
※美馬郡つるぎ町半田字中熊から大藤と猿飼・白石を眺める。「ソラ」世界の典型例となる。

剣山系の傾斜地集落の外観4
※美馬市穴吹町の首野集落-「八合切」で涵養林が維持され、周囲を森林に囲まれている。

剣山系の傾斜地集落の外観5
※美馬市穴吹町の雲上の猿飼集落-「ソラ」と呼ばれる由縁となる風景。山上部に集落が展開する。

剣山系の傾斜地集落の外観6
※美馬市穴吹町の渕名集落-傾斜地農業のシステムの見本。地勢に応じ、上部よりカヤ場、民家、傾斜畑、茶畑、棚田が有効的に配置されている。園芸農業の特産地である。

剣山系の傾斜地集落の外観7
※三好郡東みよし町加茂の加茂山集落-傾斜畑で雨除けを使用し夏秋野菜を大規模に栽培する特産地

剣山系の傾斜地集落の外観8
※三好市井川町の東井川(大久保・下久保・松舟)-急傾斜地に大規模に茶畑と園芸農業が卓越する。

剣山系の傾斜地集落の外観9
※三好市井川町の吹集落、縦に長く集落が続く。

剣山系の傾斜地集落の外観10
※三好市池田町の川崎集落-上部に空の観音堂が祀られる。

剣山系の傾斜地集落の外観11
※三好市山城町下名の蔭集落-傾斜地集落のシステムの見本となる。周囲に森林を残し、地勢に応じ多種多様な作物を栽培する。民家、採草地、畑地、棚田、茶畑、ゼンマイ畑、果樹地、社叢林、お堂、神社などが一体感をなし配置された農村景観をもつ。

剣山系の傾斜地集落の外観12
※三好市山城町の柿野尾集落-周囲に森林を保全し、最上部に山神の森(社叢林)を祀り、下部に民家、畑地、茶畑、採草地が交互に展開する。地盤の弱い部分に竹林を植えている。

剣山系の傾斜地集落の外観13
※三好市西祖谷山の有瀬集落-剣山系を代表する大規模な茶の特産地。周囲を森林が覆う。茶栽培の適地のため、霜除けがない。

剣山系の傾斜地集落の外観14
※三好市東祖谷山の落合集落(国選定重要伝統的建造物群保存地区)-周囲に森林を保全し、要所に 社叢林を残し、民家・畑地・採草地が交互に展開する。

剣山系の傾斜地集落の外観15
※名西郡神山町上分の江田集落-周囲に涵養林を保全し、谷合に石垣を用いて棚田、その周囲に段畑を作り、野菜・果樹・花卉類を栽培している。


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