阿波世界農業遺産

伝統習俗編等-写真展1

穴吹町支納のオフナトさん

穴吹町支納のオフナトさん ・この写真は、美馬市穴吹町の標高180~125mに位置するのが支納地区で見かけた風景。そこでは、民家の基部に高さ約5mに及ぶ石垣が積み上げられ、前に[ハデ]が作られている。その下部の傾斜畑の真中には、石囲い造りのオフナトさんが祀られている。これは、集落や耕作地にふりかかる災厄等を祓う魔除けの目的をもつ民俗信仰であり、伝統的な農業文化の一つである。

穴吹町西山のオフナトさん

穴吹町西山のオフナトさん ・この写真は、美馬市穴吹町の西山地区で見かけた風景。そこでは、傾斜地畑の真中で石囲い造りのオフナトさんを祀っている。これは、集落や耕作地にふりかかる災厄等を祓う魔除けの目的をもつ民俗信仰であり、伝統的な農業文化の一つである。

貞光字捨子の「廻り踊り」(忌部踊り)

貞光字捨子の「廻り踊り」(忌部踊り) ・徳島県特有の習俗となる「廻り踊り」は「忌部踊り」と呼ばれ、男女が声を出しあいながら廻り踊るもので、見合いの場ともなり、盆踊りとして民俗化した。踊り場の中央に、木製の台とか、ヤグラを組み、真ん中に傘を立てる。その元で音頭だしが、固定した雨傘の柄を支えながら、花場の方に向かって音頭をとる。雨傘の意味は、昔の祖神を招く「みこ」のしるしであるともいわれる(貞光町史)。これは歌垣の変容と見られ、その起源は古代にまで遡ると見られる。写真は、つるぎ町貞光の高地性傾斜地集落の一つ、捨子の「捨子堂」で行われている廻り踊り。これらは、FAOが掲げる農業によって育まれ維持されてきた農村文化や風習の類にあたり、この景観を含めて日本やユネスコを通じ世界に紹介すべきであろう。

つるぎ町の「廻り踊り」(忌部踊り)

つるぎ町の「廻り踊り」(忌部踊り) ・徳島県特有の習俗となる「廻り踊り」は「忌部踊り」と呼ばれ、男女が声を出しあいながら廻り踊るもので、見合いの場ともなり、盆踊りとして民俗化した。踊り場の中央に、木製の台とか、ヤグラを組み、真ん中に傘を立てる。その元で音頭だしが、固定した雨傘の柄を支えながら、花場の方に向かって音頭をとる。雨傘の意味は、昔の祖神を招く「みこ」のしるしであるともいわれる(貞光町史)。これは歌垣の変容と見られ、その起源は古代にまで遡ると見られる。このような廻り踊りは、美馬郡つるぎ町・美馬市・麻植郡・名西郡の「ソラの世界」の集落でかつて行われていた。これは、FAOが掲げる農業によって育まれ維持されてきた農村文化や風習の類にあたり、日本やユネスコを通じ世界に紹介すべきであろう。
(写真はつるぎ町役場の提供)

つるぎ町一宇の「雨乞い踊り」

つるぎ町一宇の「雨乞い踊り」 ・美馬郡つるぎ町一宇の「雨乞い踊り」は、里人が氏神の社地に集まり、旱魃に降雨を祈願するものである。それは、鉦(2)、太鼓(6)を打ち鳴らし、直径3mもある竹製の骨で金銀五色の紙で飾った大笠(4)を頭上高く一人が冠り、その周囲に大勢が輪になって舞踏して降雨を祈るのである。この祈願中は、洗濯物はじめ一切の干物は禁じられた。その掛声は、「呼べ、飛べ、龍王よ、水たもれ水神よ」の前句につけて大勢が一斉に「ソリャーもうでんじゃ」と足を踏み鳴らす。雨乞い踊りは多い時は一週間も舞ったという。
(写真はつるぎ町役場の提供)

一宇「下宮神社」の『お的』神事

一宇「下宮神社」の『お的』神事 ・美馬郡つるぎ町一宇、中野の「下宮神社」は、「忌部神社」の末社で、「大宮神社」と呼ばれていたと伝わる、その境内では、毎年、豊作・豊猟祈願のため4月15日に春の百手祭(お的)が行われる。初矢を射る前には、「我々は西山猟師の子孫なり。今日八幡の位を得たり。大的を射てとの神の仰せなり。山の神々許して給え」との言葉を奏上していた。これは、FAOが掲げる農業によって育まれ維持されてきた農村文化や風習の類にあたる。
(写真はつるぎ町役場の提供)

貞光字川見の「踊り念仏」

貞光字川見の「踊り念仏」 ・川見の由来は、「忌部の大神が貞の丸に立ち、川を見下ろしたとのことで川見と名付けられた。」と云う。その川見には「踊り念仏」で知られる「川見堂」と呼ばれる御堂があり、端四国二十四番札所となっている。「川見堂」の「踊り念仏」は県の無形文化財に指定されている。これは、毎年8月14日の夜に行われるもので、先達と鉦とを打つ者が中におり、その回りを躍る人が内側に向って円陣をつくり、「ナムアミドーヤ」を三回唱え、右に三回跳んで「ナモーデ、ナモーデ」と唱え、左に大きく二回跳んで時計とは反対方向に回り踊るものである。FAOが掲げる農業によって育まれ維持されてきた農村文化や風習の類にあたる。
(写真はつるぎ町役場の提供)

半田「建神社」の『茅の輪くぐり』

半田「建神社」の『茅の輪くぐり』 ・これは、つるぎ町半田の式内社「建神社」の「輪抜け」の写真である。旧6月晦日の行事に「夏越の大祓」がある。その中で行われるのが「芽の輪くぐり」(輪抜け)の神事である。これは、茅の霊力によって夏の災厄を祓うものである。江戸時代の文化2年(1805年)には、すでに中鳥の「伊射奈美神社」では、半田三ヶ村総氏神として行われていたという。これも、FAOが掲げる伝統的農村文化・風俗の類にあたるだろう。
(写真はつるぎ町役場の提供)

剣山本宮劒神社例大祭(山神輿)

剣山本宮劒神社例大祭(山神輿) ・西日本第二の高峰、標高1,955mの剣山は、忌部修験道の霊山として知られる。劒山本宮劒神社例大祭は、夏に剣山の各神社・寺院で催される夏祭りの一つ。祭りは山頂付近の安徳天皇ゆかりの宝蔵石神社から出発し、平家の馬場を渡って山頂を目指すもの。標高2,000m近く高山山頂の平原で行われる壮大な規模での神輿渡御(山神輿)は全国に例を見ない。また、御旅所では「劒の舞」が奉納される。それは木頭忌部に伝わる舞だといわれる。
(写真はつるぎ町役場の提供)

吉野川流域農民の「上げ舟」

吉野川流域農民の「上げ舟」 ・吉野川は全国一の暴れ川であるが、その反面、沃土を徳島平野に毎年のように供給し、江戸時代に阿波藍は日本一の生産を誇り、その豊かさを享受した。そのため、藍農家などは、洪水が来ることを想定して予め納屋などの天井に小舟を吊るしていた。木曽川の輪中地域では、「上げ舟」と呼ぶが、この上げ舟文化はじめ、高石垣造りなどの農民文化が数多く徳島平野には見られる。「上げ舟」で有名なのが石井町の田中家住宅、輪中や高石垣は穴吹町の舞中島が有名。写真は、阿波市市場町の八幡神社の拝殿に残された「上げ舟」。これらは、平野部で生きる人々の智恵であり、阿波特有の農業文化の一つであった。


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