阿波世界農業遺産

御堂と森・巨樹編-写真展1

つるぎ町一宇の「巨樹王国」

つるぎ町一宇の「巨樹王国」 ・剣山の北斜面に位置する美馬郡つるぎ町一宇は、巨樹王国と称され、日本有数の巨樹の里として知られている。その中でも、一宇の蔭にある赤羽大師の樹齢800年の大エノキは、平成16年(2004年)に国の天然記念物となった。その他、桑平のトチノキ(四国一)、奥大野のアカマツ(四国一)、蔭・白山神社のモミ(四国二位)、大横のカツラ(県二位)、地蔵森のカゴノキ(県一位)、桑平堂のスギなどが知られる。これら数多くの巨樹の存在は、生物多様性の保全に欠かせない存在であり、森の豊かさの指標となるべきものである。

穴吹町渕名の「渕名堂」と巨樹

穴吹町渕名の「渕名堂」と巨樹 ・美馬市穴吹町の高地性傾斜地集落の中心部には、集会所の役目を果たす「御堂」があるのが通例で、そこには巨樹があることが多い。穴吹町渕名の標高430m付近には、その典型例となる「渕名堂」と巨樹、その袂に原始的アニミズム信仰を示す小祠が祀られている。その信仰の発展過程は、「倭国創生と阿波忌部」で解説した。元来、巨樹がランドマーク、集会場所・祈場として機能し、その後、仏教の流入による神仏習合思想に沿って「御堂」が建てられたのであろう。御堂の前には黍畑があり、独特の農村景観を構築している。

穴吹町首野の「首野堂」と巨樹

穴吹町首野の「首野堂」と巨樹 ・美馬市穴吹町の高地性傾斜地集落の中心部には、集会所の役目を果たす「御堂」があるのが通例で、そこには巨樹があることが多い。首野地区の中心部には、「首野薬師堂」が祀られ、傍に銀杏の巨樹がある。本尊は鎌倉時代のもので、当地の歴史が1000年以上に遡ることが分かる。その信仰の発展過程は、「倭国創生と阿波忌部」で解説した。元来、巨樹もしくは傍の天神の丘(忌部の祭祀丘)が、集落祭祀のランドマーク、集会場所として機能し、その後に仏教思想の流入に伴い「御堂」が建てられたのであろう。その農村風景は、日本に前例がない独特なものである。

穴吹町首野の天神の丸(忌部の祭祀丘)

穴吹町首野の天神の丸(忌部の祭祀丘) ・美馬市穴吹町の高地性傾斜地集落の中心部には、集会所の役目を果たす「御堂」があるのが通例で、そこには巨樹があることが多い。首野地区の中心部には、「首野薬師堂」が祀られ、傍に銀杏の巨樹があり、本尊は鎌倉時代のもの。隣の小丘は「天神の丸」と呼ばれる。周囲には要塞のように石垣が取り囲み、その頂に天神・地神・八坂祠が祀られている。このような祭祀丘は日本に前例がなく、此処は古代忌部族の豊作・子孫繁栄祈願の祭事場の一つであったと考えられ、忌部族の農業思想の奥深さを垣間見ることができる。

穴吹町支野の御堂と巨樹

穴吹町支野の御堂と巨樹 ・美馬市穴吹町の高地集落の中心部には、集会所の役目を果たす「御堂」があるのが通例で、そこには巨樹があることが多い。宮内の「白人神社」西の標高180~125mの地点に位置するのが支納である。そこには、御堂とともに巨樹が残され、独特の農村景観が見られる。巨樹の袂には巨樹信仰の小祠、庚申塔が祀られている。元来、巨樹が集落祭祀のランドマーク、集会場所として機能し、その後に仏教思想の流入に伴って「御堂」が建てられたのであろう。これは、阿波の「ソラの世界」における原風景であるといえるだろう。

貞光字白村の「大泉堂」と巨樹

貞光字白村の「大泉堂」と巨樹 ・美馬郡つるぎ町の高地性傾斜地集落の中心部には、集会所の役目を果たす「御堂」があるのが通例で、そこには巨樹があることが多い。貞光字宮内の白村には、「大泉堂」と巨樹、その袂に原始的アニミズム信仰を示す立石や祠が祀られている。その信仰の発展過程は、「倭国創生と阿波忌部」で解説した。元来、巨樹が集落祭祀やランドマークとして機能し、その後に仏教思想の流入に伴って「御堂」が建てられたのであろう。これは、「ソラの地」の農業により育まれてきた独特な農村風景にあたるといえるだろう。

半田字中熊の「中熊堂」と巨樹

半田字中熊の「中熊堂」と巨樹 ・美馬郡つるぎ町の高地性傾斜地集落の中心部には、集会所の役目を果たす御堂があるのが通例であり、そこには巨樹があることが多い。半田字中熊の「中熊堂」は、その典型となる。本尊の十一面観音像は、一木造の藤原時代(平安時代)の作である。元来、巨樹が集落祭祀の中心、集会場所として機能し、その後に仏教思想の流入に伴い「御堂」が建てられたのであろう。これは、「ソラの地」の農業により育まれてきた日本農業の原風景にあたるだろう。

穴吹町渕名の椿の巨樹

穴吹町渕名の椿の巨樹 ・美馬市穴吹町渕名の標高約430m付近の傾斜畑の一角には、樹齢300年にもなろうかと思われる椿の巨樹が大切に残され、基部には巨樹信仰に伴う簡素な石祠が祀られている。縄文後期の石棒の発見と合わせ、照葉樹林文化をもった人々の渡来を暗示させるものであり、恐らくは県内最古の椿として位置付けられるであろう。

穴吹町馬内の榎の巨樹(三宮さん)

穴吹町馬内の榎の巨樹(三宮さん) ・穴吹川中流西岸の標高約200m地点、忌部伝承を伴う高地性傾斜地集落が馬内である。その中心部、「馬内集会所」西側の一段高い丘上には、約5mの周囲をもつ榎の巨樹があり、馬内のシンボルタワー的存在となっている。その根本には、「三宮さん」と呼ぶ板石を四角形囲いに組む阿波特有の祭祀形式の石造祠が3個並んで祀られている。これらは、「地神さん」・「観音さん」・「大師さん」と呼ばれる。本来は、縄文期以来の巨樹信仰があった上に、精霊信仰・カミ信仰、神仏習合信仰が重ねられ現在に至ったと見られ、日本文化の重層構造を物語っている。かつては、毎年7月20日に、疫病退散を祈願して、土用の祈祷が行われていた(穴吹町誌)。

穴吹町宮内の神明山の照葉樹林の森

穴吹町宮内の神明山の照葉樹林の森 ・標高50m~100mに位置する美馬市穴吹町の宮内地区は、穴吹川中流西岸の盆地にある。その中心には「白人神社」が祀られ、その西南約100mには、椎・樫を中心とする照葉樹林が生い茂る神明山の丘陵があり、急な石段を約130段登り切った頂の平坦部には、穴吹町指定文化財「磐境神明神社」がある。それは、神社の成立以前の石垣囲いの聖域をもつ神代「磐境」の類であった。宮内地区の農村の守神として祀られた神代のマツリ場は、生物多様性を保障する照葉樹林の森の中に造営されていたのであり、神社の社(やしろ)の語源通り、森を意味するものでもあった。


ページトップへ