阿波世界農業遺産

祭祀遺跡編-写真展1

穴吹町渕名の縄文後期の「石棒」

穴吹町渕名の縄文後期の「石棒」 ・美馬市穴吹町の渕名集落の標高約430m付近で、縄文後期の石棒が祀られ信仰されているのを発見した。このことは、剣山の北から北東斜面に続く広大な高地性傾斜地集落(ソラ集落)が、焼畑農耕の時代となる縄文後期頃から拓かれてきた証明の一つとなり、非常に意義深い。コエグロやカヤ・落葉利用農法などは、縄文期から続く農業技術が現代まで続けられているものと見られ、「ソラの世界」全体が、生きた「農業博物館」(エコ・ミュージアム)になるといえるだろう。

貞光字浦山の明見神社の「石棒」

貞光字浦山の明見神社の「石棒」 ・貞光川(木綿麻川)西岸、つるぎ町貞光の高地性傾斜地集落となる浦山の「明見神社」には、巨樹の袂に縄文後期の石棒ようの遺物(詳細は不明)が祀られている。このことは、剣山の北から北東斜面に続く広大な山上集落(ソラ集落)が、焼畑農耕の時代となる縄文後期頃から拓かれてきた証明の一つとなり意義深い。コエグロやカヤ・落葉利用農法などは、縄文期から続く農業技術が現代まで続けられているものと見られ、「ソラの世界」の山上集落全体が、生きた「農業博物館」になるといえるだろう。

穴吹町古宮の石尾神社の立石列石

穴吹町古宮の石尾神社の立石列石 ・美馬市穴吹町古宮の奥、標高約700m付近、平谷川の水源地には、東西80m・南北120m・高さ30mの巨大な緑泥片岩(結晶片岩)の露頭岩があり、その下部の岩陰には「石尾神社」が祀られている。周囲の地理的状況から見れば、旧三加茂町の「新田神社」の岩陰遺跡と同じく縄文時代の遺物が発掘されるに違いない。その岩陰から下斜面にかけ、高さ約1m弱の緑泥片岩の板状の立石が約50mにわたって並べられている。社殿が造営される以前は、この立石自体をカミや精霊が降臨する依代とし何らかのマツリが行われていたであろう。このように立石を一直線上に並べる祭祀形態は、阿波忌部族の根拠地特有のもので、他に、美馬市穴吹町田方の「忌部の七神石」、支納の「立石」、美馬郡つるぎ町友内山「チチブシャン滝」、長瀬「立石山」、吉良の四足堂前の立石などが知られる。円形状に配置する環状列石などは秋田県の「大湯遺跡」が知られ、イギリスのウェールズではストーンアライメントと呼ばれる。これらは、立石を崇拝する最も原始的な深淵な思想の産物であり、世界農業遺産の中の一つとなりえるだろう。

貞光・友内山のチチブシャン滝の立石列石

貞光・友内山のチチブシャン滝の立石列石 ・標高約700~800m、「友内神社」から約100m下った谷筋には、「乳房の滝」(チチブシャンの滝)と呼ぶ高さ30mほどの滝がある。その滝から谷沿いに約100m下った地点には、高さ約80cmの四角形や三角形の石板ようの立石が、一定の間隔を置いて20本ほど一直線に立て並べられている。社殿が造営される以前は、この立石自体をカミや精霊が降臨する依代とし何らかのマツリが行われていたであろう。これらは立石を最も原始的なカミ信仰の起源となる深淵な思想の産物である。

貞光字吉良の清頭岡の忌部祭祀遺跡

貞光字吉良の清頭岡の忌部祭祀遺跡 ・美馬郡つるぎ町貞光字吉良の標高約350m、清頭岡の頂上付近から尾根辻は、神代忌部族のマツリ場であった。中心部には、高さ約5mの巨岩を御神体とする磐座遺跡があり、基部には石積が施されている。巨石上には、東西方向に長方形型の巨石が置かれている。これは「御所神社」(忌部大神宮)の元宮となる遺跡で、吉良(御所平)を拓いた人々が集落の豊穣・子孫繁栄などを祈願するために祀った社殿が成立する以前のカミ信仰の起源となる自然巨石を崇拝する思想の産物である。

つるぎ町一宇の「御塔岩」

つるぎ町一宇の「御塔岩」 ・つるぎ半田の大惣と一宇の境の尾根上には、「石堂神社」の前堂がある。そこからブナ林の尾根道を約6km進むと、標高1.620mの石堂山の頂上に達する。その頂上付近には、高さ8mの方尖塔形、オベリスク状の「御塔岩」がある。これは、石堂大権現と呼ばれ、風の神として崇敬され、夏季は数日にわたり山伏が護摩焚の修行もしていた。その傍らには、「踊り石」があり、この上で村人は「雨乞い踊り」をしたという。御塔石を御神体と崇拝する巨石信仰もまた日本の社殿が成立する以前のカミ信仰の所産であり、雨乞い踊りともに、農業遺産の一つである。

半田字中藪の山神(石窟遺跡)

半田字中藪の山神(石窟遺跡) ・つるぎ町半田字中藪の山の中腹に祀られた山神を祀る石窟祠。石窟をカミが宿る聖なる空間として崇め、入口に結界を示す注連縄が張られている。これは社殿が成立する以前のカミ信仰の起源となる縄文時代の岩陰・石窟祭祀や自然巨石を崇拝する思想の産物でもある。山や森林は、水や肥料、衣食住に関係する生活必需品を生み出す命の元となる。山の神を祀る思想は、農村文化・習俗・生物多様性を維持するに必須な根源思想である。

一宇字大野の山神祠(石殿)

一宇字大野の山神祠(石殿) ・つるぎ町一宇の大野集落の最上部、標高約730mに祀られた山の神の石積祠。板状の結晶片岩を四角囲いとする祭祀形式は、徳島県特有の祭祀(民俗)形態である。これは社殿が成立する以前のカミ信仰の起源となる簡素な石造の信仰形態である。山や森林は、水や肥料、衣食住に関係する生活必需品を生み出す命の元となる。山の神を祀る思想は、農村文化・習俗・生物多様性を維持するに必須な根源思想であり、世界農業遺産に挙げるべき思想の一つとしてふさわしい。

貞光字長瀬の山神祠(石殿)

貞光字長瀬の山神祠(石殿) ・これは、貞光川東岸のつるぎ町貞光字長瀬に祀られた山の神の石積祠である。板状の結晶片岩を四角囲いとする祭祀形式は、徳島県特有の祭祀(民俗)形態である。これは社殿が成立する以前のカミ信仰の起源となる簡素な石造の信仰形態である。山や森林は、水や肥料、衣食住に関係する生活必需品を生み出す命の元となる。山の神を祀る思想は、農村文化・習俗・生物多様性を維持するに必須な根源思想であり、世界農業遺産に挙げるべき思想の一つとしてふさわしい。

穴吹町田方の「白人神社」の四神石

穴吹町田方の「白人神社」の四神石 ・穴吹川東岸沿いの田方字馬足には、高さ約270cm、幅60cm、厚さ25cmの立石(メンヒル)があり、白人神社の「四神石」の一つと伝えられている(穴吹町史)。同じタイプの立石は、吉野川市山川町「忌部神社」に関係する「四至石」がある。これらは、立石自体がカミや精霊が降臨する依代とする思想をもつと見られ、何らかのマツリ、山間集落への災厄を防ぐ結界石のような役目を果たす信仰の産物とも考えられる。これは、古宮の「石尾神社」の立石列石と同じく、最も原始的なカミ信仰の起源となる深淵な思想の産物であろう。


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