阿波世界農業遺産

歴史的な重要性

徳島剣山系の伝統的な傾斜地農業の歴史的な重要性(支援協議会原案)  平成26年7月1日付

1. 3,000年にわたる傾斜地集落形成の歴史
  • 剣山系の農業の歴史は、縄文後期頃の焼畑農耕の時代まで遡り、剣山系の傾斜地集落は「ソラ」と呼ばれる。その意味について、『徳島県の歴史』(河出書房新社)は、「四国山地は近代に至るまで焼畑農耕が卓越している地で、近世・近代の平野に住む人々がソラと言ったのは、この焼畑農耕が行われている四国山地、稲作社会に視点をすえた場合の異質な現世社会としての山の上の焼畑社会を指す。」と解説する。その傾斜地集落は、山上部より谷底・川筋へ向かって拓かれた。それ故に、「頂上部に住む人ほど高貴な人で、山の上から拓かれた。頂上部付近から谷沿いへ降りてきた。」との口伝が残される。剣山系は、かつて日本を代表する焼畑地帯で、四国では昭和25年(1950年)に、約2,000haの焼畑が分布し、その広さは全国の19%に及んでいた。『アトラス 日本列島の環境変化』西川治監修(朝倉書店)の近世末(1850年頃)の林野利用によれば、剣山系が日本最大の焼畑地域であったことは一目瞭然となる。現在でも、焼畑農業を継承するアワ・ヒエ・アズキ・ダイズ・ソバ・コキビ・タカキビ・トウモロコシ・コンニャク・様々な農作物が栽培されている。その焼畑農業を継承する行事が、三好市山城町の「塩塚高原」の《野焼き》で、春に良質なカヤ施肥を採り、山菜を採種するため野焼きを行っている。

  • その焼畑農業の起源は、縄文後期頃の約3000年前に遡ると推定される。その証拠に、剣山系や周辺平野部では縄文後期を中心とする遺物が多数出土する。三好郡東みよし町西庄(旧加茂名町)の「加茂谷川岩陰遺跡群」(県指定史跡)は四国を代表する縄文遺跡群である。美馬市穴吹町渕名の標高約500m付近では、縄文後期頃の石棒が祀られ現在でも信仰されているのは、象徴的な証拠だといえる。同様の石棒は、名西郡神山町鍋岩や、三好郡東みよし町毛田(旧三加茂町)、美馬郡つるぎ町一宇字剪宇(現在は消息不明)でも出土する。美馬郡つるぎ町貞光の「貞光前田遺跡」からは、縄文後期の複数の竪穴住居跡や、後期を中心とした縄文土器が出土する。三好郡東みよし町加茂の「稲持遺跡」からは、縄文晩期の「突帯文土器」が出土する他、農耕に関わる豊富な石鏃・磨製石斧・石鍬などが出土する。また、食料獲得や加工道具として、収穫用の石包丁や使用痕をもつ石鍬・磨石・石皿も検出され、縄文農耕的な作業が行われていた可能性が高い。三好郡東みよし町昼間(旧三好町)の「大柿遺跡」からは、縄文晩期後半(約2,500年前)の石鍬の埋納土坑内に6点の結晶片岩製の石棒と、欠損した打製石鍬が三十数点も発見された。それには使用痕が見られ、他の地層からも多数の石鍬が出土する。足代(旧三好町)の弥生終末期の「足代東原遺跡」からは、全長7cmの威嚇の表情を表現した焼畑を含む畑作を中心とする生産を基盤とした遺物となる「猪形土製品」と「猿形土製品」が出土した。また、縄文の採集農業の痕跡も見られ、三好市池田町州津の「西州津遺跡」からは、縄文後期の約3000年前、四国最大のドングリなどを保存した貯蔵穴32基が発見された。

  • 弥生期には、三好郡東みよし町昼間(旧三好町)の「大柿遺跡」から日本最古の弥生前期の約2200年前の棚田が検出されている。名西郡神山町上分の左右地・東寺遺跡では合計銅剣5口が出土した。三好郡東みよし町白内や三好市井川町色原の山上集落でも弥生期の遺物が出土する。三好市西祖谷山では「榎銅鐸」と「銅剣」が出土したと報告されている。剣山系では、弥生期に入ると焼畑地と常畑とが共存するようになり、本格的な弥生時代に入ると水田稲作技術が渡来人によりもたらされ、水利に便利な谷合より棚田が開かれていった。これら日本農業史の一連の発展過程を経て、傾斜地集落の形成が順次なされたと推定され、現在、剣山系で見る傾斜地集落の風景は、約3,000年前より始まった日本農業史の発展過程を重層構造的に示す遺産であり、そこで展開される農業技術や思想は、その3,000年に至る農業技術・思想の集合体であり、随所にそのカミ信仰の変遷を辿ることのできる祭祀遺跡や信仰物も残されているのである。
2. 剣山系の農業を象徴するオオゲツヒメ
  • 剣山系における農業の特色は、植生的視点より概観すれば、照葉樹林文化圏の農業と捉えられ、傾斜地集落の大半が、標高100m前後~約700mまでの[照葉樹林帯](常緑広葉樹林帯)に属している。剣山系には、元国立民族学博物館館長・佐々木高明氏が照葉樹林文化論で提唱した、東アジアの照葉樹林文化圏と共通した多くの農業・文化的要素が散見され、中でも「第二段階の焼畑農業段階の農耕文化」が色濃く残され、約3,000年に及ぶ農耕文化が重層的に継承されている。剣山系の伝統農業を象徴する神こそが[オオゲツヒメ](大宜都比売神)で、名西郡神山町神領の「上一宮大粟神社」に祀られ、それは『古事記』に記された粟国(阿波国)の国神となる女神、日本の偉大なる食物の女神、日本の養蚕・五穀の起源神、日本最古の農業神(焼畑神、農業生産神)でもあった。雑穀の[粟]を主作とする焼畑系文化の特徴が、日本の中で最も顕著に反映されていたからこそ、[オオゲツヒメ]の国と明記されたのであろうし、その遺伝子を継承する数多くの焼畑作物が栽培されている。「オオゲツヒメ」は、世界遺産に指定された「和食」の原点をなす神でもあり、剣山系にオオゲツヒメが祀られた意味は、日本の農業や食文化を考える上で、民俗学・神話学・農学上、大きな意味を持っている。
3. 剣山系を拠点とした阿波忌部
  • 阿波勢力(後の阿波忌部族)は林博章氏の研究で、弥生後期から古墳前期(3~4世紀)にかけ、剣山系と吉野川流域を中心に勢力圏を展開し、阿波地域を拓き、ヤマト王権成立の立役者となり、各地に麻・榖(かぢ)を植え、農業・養蚕・織物・漁業・古墳築造技術(農業土木技術)などを伝播させた産業技術・祭祀集団であったことが推定されている。ヤマト王権の成立に寄与し、各地に農業技術をはじめとする衣食住文化の原点となる高度な農業技術や各産業の遺伝子資源が剣山系に残存している。剣山系の世界農業遺産化を進めることは、日本の源流を探す意味、遺伝子を継承する意味においても重要である。剣山系には、阿波忌部に関わる神社が多く祀られている。

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